2014-09-27 (Sat) 13:37
「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著(集英社新書)を興味深く読んだ。
資本主義について、「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」を広げることによって、「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステムであると捉え、グローバル化の進展により、「周辺」としての物理的・地理的空間もなくなり、インターネットによって『電子・金融空間」も発生したが、これ以上の「周辺」がなくなり、資本主義がよって立つ「周辺」がなくなるので、その危機を迎えるという主旨と理解した。
ここにいう「周辺」とは、利益を簒奪する「市場」と捉えれば、分かり易いのではないだろうか。
グローバル化は、国単位における富める国と貧しい国から、一国のなかに階層としての富める「中心」と貧しい「周辺」を組み替えるものであるとの主張も腑におちるものである。
国民国家、民主主義、資本主義が、これまで同一の枠内を基準として重なって存在していたのが、世界経済における多国籍企業の増加、電子金融空間の取引によって、実物及びマネーの両資本主義が、国家を超越し、国家内で貧富の差が益々激しくなり、民主主義が拠って立つ同質な市民という前提が崩れていく。そのなかで次の新しい形態への変化の時期を迎えているとの見方をされる。
資本主義と社会主義との対立という冷戦構造が崩れて、「自由な競争」による資本主義が唯一絶対の仕組みであると無批判的に受け入れてしまいがちであるが、資本主義の行き過ぎによる弊害が見られる現状においては、立ち止まって考えることも必要ではないか。(その流れとしての「里山資本主義」もあるだろう。)
さらにいえば、来世において神に祝福される者は、現世においても祝福されるというプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神として取り込まれ、現在に至っていることを前提とすれば、資本主義の弊害の超克のためには、それにかわる倫理が必要であろう。