里山資本主義ー日本経済は「安心の原理」で働くー 藻谷浩介、NHK広島取材班著を読んだ。喪谷氏は、周知のとおり「デフレの正体」がベストセラーなった人((株)日本総合研究所調査部主席研究院)である。
デフレの正体も、世間で聞く議論と、違った視点で論じたものであるが、この里山資本主義も、グローバル経済に象徴されるマネー資本主義とは別の、「資本主義」のあり方を論じている。例として、岡山県真庭市の先進的な製材加工業者やオーストリアを上げ、これまでは廃棄していた木屑ペレットの有効利用などによる、地域内でのエネルギー、物の循環などをあげている。
「『里山資本主義』とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された『マネー資本主義』の経済システムの横に、お金に依存しないサブシステムも再構築しておこうというものである。」(138頁)と述べ、何らかの問題でお金の循環が滞っても、水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、安心のネットワークを、予め用意しておきたいという思いが、『里山資本主義』の入り口となる。しかし、さらにその考え方は、マネー資本主義を支えるいくつかの基本的な前提に反する部分をもっていると論じる。
全ては金銭的に評価することを前提として、規模を拡大し、当該分野に専業化することで利益を追求するというこれまでの資本主義に対し、「里山」に存在し見捨てられていた物を有効活用し、地域内で物と交換し、規模を追求せず、1人が複数の役割(1人多役)を果たすことでこなしていく。
それを形而上的にみれば、世界で一番利益を挙げなければならないという一神教の経済と、あちこちにいろいろな神がいるという八百万の神の経済との違いとも思える。
それはともかく、街と田舎とがもっと交流し、上記のサブシステムを作れるようにならないだろうか。
「半農半弁」「晴耕雨読」という生活をやってみたいものである。
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