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『創価学会と平和主義』

2014-11-09 (Sun) 00:01
「創価学会と平和主義」佐藤優(朝日新書)を読んだ。
 内容は、創価学会の成り立ちに遡り、創価学会の内在論理に触れ、先の集団的自衛権についての閣議決定における働きかけを論じたものである。
 が、それだけに止まらず、浄土集の教えを、過去(因) → 現在(果) → 念仏(転換の契機) → 極楽譲渡と捉えるのに対し、日蓮の教えを、現在(因)→唱題(転換の契機)→未来(果)と図式化し、その教えを背景とする創価学会が「生きている宗教」であるとしたり、創価学会インターナショナル(SGI)が、日本の移民問題を解決する役割を果たせる可能性に触れるなど、おもしろい。
 さらに、最も腑におちたのは、あとがきに書かれた次の内容である。少々長くなるが引用したい。
 「近現代人が無意識のうちに信じている宗教が三つある。
  第一は拝金教だ。貨幣は商品交換、すなわち人間と人間の関係から生まれるにもかかわらず、人間は貨幣自体に価値や力があると思ってしまう。一万円札を作製するのに必要とされる原価は二十円に過ぎない。それで一万円分の商品やサービスが購入できるという常識が宗教なのである
(中略)。
  第二が出世教だ。資本主義の競争原理がそのまま人生観になってしまっている。子どもの『お受験』から始まり、出世だけを目的にして、人間としての価値を見失っている人が多いのは残念だ。
  第三がナショナリズム(国家主義)だ。自らの生命を国家や民族のために捧げるというのは、世俗的に変容した宗教である。しかし、人間が国家を作ったのであり、国家が人間を作ったのではない。人間が国家や民族を崇拝するのは、まさに疎外である。
  この三つの宗教は、いずれも人間が作り出したものだ。それにもかかわらずこの人造宗教に人間は振り回されている。戦争が勃発するときには、資本の利益、将軍や政治家の出世欲、ナショナリズムが例外なく機能している。これらの転倒した禍をもたらす宗教からどのように解放されるかが、二十一世紀のわれわれが直面する重要な課題と思う。」(206頁から)

  
  私自身は、この熊本という郷土、そして日本が好きである。心の平安をもたらす宗教も必要だと思う。
  グローバル化が進む現在において、人間としての心の平穏を脅かしかねない、上の世俗的な3つの宗教にはそれが行き過ぎないにように注意を払う必要がある。それには同意するところである。

 

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